古典から詩歌、エンターテインメントまで、東京には文学にまつわる場所がたくさんあります。作品の舞台だったり、作品に盛り込まれた地名だったり、作家の住居跡だったり、文学上重要な運動が発生した場所だったり……。そうしたいわゆる“聖地”を書評家/ライター/文学系YouTuberの渡辺祐真(スケザネ)さんにセレクトいただき、ご紹介するコーナー。スケザネさんの文学系スポット解説と、実際に街巡りをした現地レポートを合わせてお届けします。
今回は、ザ・高級住宅街の成城学園前から芦花公園まで、歩いたりバスに乗ったりして散策しました。

渡辺祐真さん
書評家、書評系YouTuber
文学散歩ナビゲーター
東京のゲーム会社でシナリオライターとして勤務する傍ら、
憧れの高級住宅街・成城学園前の成り立ち
小田急「成城学園前」駅を中心とした成城エリアは、田園調布と並ぶ都内有数の高級住宅街だ。2002年に小田急線は地下化され、2006年には駅ビル「成城コルティ」が建てられた。大きなテナントビルや家電量販店などはなく、スーパーやレストランなどが入る4階建ての駅ビルが、駅周辺で最大級の建物といえる。ちなみに、駅ビル内の「小田急OX」を除けば、最寄りのスーパーは「成城石井」成城店。さすが成城だ。

成城学園前が「セレブの街である」というイメージはよく知られているだろう。でも、表層しか分からない。だって、あんまり行く機会なくないですか? 親戚や友だちが住んでいるか、あるいは母校の最寄り駅なら話は別だけど、観光地ではないので、地方から東京に来た人が「成城学園前に行ってみたい」というのも聞いたことがない。
でもそれはそれでいいのだろう。なにしろここは住宅地なのだから。そしてたぶん、フラッと訪れるような場所じゃないという点も、価値を高めているに違いないから。
そうした治安の良さはもちろんだが、成城エリアの安全性は、実はもっと根源的なところにあるのだった。武蔵野台地という高台にあるこの街は地盤が固く、関東大震災以降、防災を念頭に開発された住宅都市だったのだ。この街で商店が建ち並ぶのは、ほぼほぼ駅の近辺のみで、すぐにお屋敷街となるが、そんなひとつ、駅前のごく普通のコンビニあたりが、今回たどる文学散歩の1件目、平塚らいてうの旧邸跡。

成城学園の移転とともに多くの文化人が移住
旧平塚らいてう邸跡から1ブロック駅のほうに戻ると、成城通りにぶつかる。この成城のメインストリートを左折し、最初の交差点で右を向けば、道の両側にこんもりした背の高いイチョウ並木が連なっている。角には茶色いタイル張りの低層集合住宅がどっしりと構えている。氷室冴子の青春小説「海がきこえる」をスタジオジブリがテレビアニメ化した際、ヒロイン・里伽子の父親が暮らしていたのがこのマンションらしい。
そして、イチョウ並木の足下を進んでいくと、この街の誕生のきっかけになった成城学園にたどり着く。


成城学園(柳田国男民俗学研究所)
成城学園と言えば、良家の子息・子女が通う学校として名高いが、そうした伝統はどのように生まれたのだろう。
先述のように、成城学園は、いくつかの理念を掲げ、この地に移転し、それに共鳴した多くの人々や企業もこの街に移ってきた。その中に、映画会社「東宝」の前身である「P.C.L.」がある。
P.C.L.は、映画の現像や撮影を研究・実践する組合で、トーキーの撮影と録画の必要が生じてきた1931年に成城の地に移転してきたのだ。
会社だけではなく、その重役たちも移住してきたのを皮切りに、成瀬巳喜男や山本嘉次郎といった映画監督、高峰秀子や細川ちか子といった俳優たちの移住も続く。ここには先述のような映画以外の文化人たちの移住も重なっており、こうして成城地域には多くの文化人が暮らすようになった。
すると、当然彼らは自分の子供を成城学園に入学させる。こうして成城学園という校風が確固たるものになっていったのだ。
自治会が中心となって策定した「成城憲章」で、街の心地良さが保たれる
駅からキャンパスまでのルートを検索すると、小田急線の線路沿いに東へ進み、校舎の南側の門へとたどり着く道順が提案される。総距離240m徒歩3分。だがきっと、われわれが成城通りからやってきた通学路のほうが気持ちいい。
と、門の外側のポストの脇に小さなモニュメントがあるのに気づかされる。成城学園界隈は「せたがや界隈賞」を受賞し、「成城学園前のいちょう並木」と「成城の桜並木」「成城学園の池」は「せたがや百景」に選ばれているのだ。

この街には、成城自治会が制定した「成城憲章」がある。その策定趣旨(前文)の導入部はこんな感じ。
「私たちのまち成城は、大正期に成城学園の立地と郊外住宅地の開発とが結びついて、理想の学園都市をめざして誕生しました。成城には武蔵野の面影を残す緑豊かな自然環境に包まれた閑静で清潔な住宅地と、洗練された学園都市としてのイメージがあります(後略)」
成城の街と暮らしを守り、住みやすい環境を維持していくために、建物の高さや敷地の細分化の制限、生け垣や樹木などの敷地内の緑の保全、景観・美観に配慮した建築など、9つの遵守すべき項目を掲げている。平成14年に策定され、その後も時代に応じて更新されている。
街全体がなんとなく心地よいのも、むべなるかな。「なんとなく」ではなく、大正期に理想的な環境を目指して開発された住宅都市が、年月を経てもすり減ってしまわないよう、住民のみなさんが全力で保とうとしている成果なのだ。なので、フラリと街を散策していて、そこに突然、柳田国男邸が残っていたりもする。今回は、残念ながら撮影ができなかったので、スケザネさんの文章だけでご紹介します。


緑蔭館ギャラリー(旧柳田国男邸)
柳田が、この地に移住してきたのは朝日新聞社に勤務していたころだ。当時は有楽町にあったため、小田急線で新宿を経由して通勤したのだろう。
当時の成城は、住民たちによる自治会が大きな存在感を誇り、住民同士の交流、防犯防災活動、街づくりのルール制定などを担っていた。この発起人として、柳田は名を連ねていたようで、成城での彼の存在感の大きさがうかがえる。
なお、緑陰館ギャラリーは柳田の自宅があった場所だが、その向かいにはかつて、建築家の丹下健三の邸宅もあったようだ。
芦花公園は、明治時代の作家・徳冨蘆花が晩年暮らした地
さて、成城学園前駅からバスに乗る。この街では、大正期から連綿とつながってきた文化の香りをふんわりと浴びたわけだが、具体的な文学の名残に触れることはなかった。それゆえ今度は、濃厚な文学遺産をがっつり体験するのである。
目指すは「蘆花恒春園」、徳冨蘆花旧邸跡を中心とした公園だ。成城学園前駅西口ロータリーから千歳船橋駅行き(千歳烏山駅行きでも可)のバスに乗車し、千歳中学校前停留所まで約15分。この小さな旅が、なかなか面白かった。
駅前からイチョウ並木を横目に、桜並木を通り、1軒1軒の敷地が広く趣向を凝らしたお屋敷を眺めながらバスは行く。高級住宅街を徐行しながら駆け抜ける路線バスは、さながらテーマパークの周遊バスみたいだった。それが徐々にコンビニが出現し、町中華に出合い、風景に巨大マンションとガスタンクが現れる。

その名も「蘆花通り」を経て、8分ほどブラブラ歩けば「蘆花恒春園」に着く。正門は、こんな感じ。

だけれど、このルートでアプローチするのは施設の裏側。一見、ちょっと広めの児童公園にしか見えない。それも、ちょっと広い分、ちょっと寂しい佇まいの。われわれが着いたのは平日の午後2時過ぎだったが、公園にいたのは幼子を遊ばせるお母さんひとり、ジョガーひとり、通行人ひとり、そしてベンチでお昼寝されてる方が絶妙な“寂しいスパイス”となっていた。

で、児童公園から入ると、その奥に徳冨蘆花夫妻のお墓や、晩年暮らした家が保存されていたりする。実際に蘆花が使っていた家財道具などが残された当時のままの建物が、無料で見学できる。ちょっと寂しい児童公園は、文学散歩のいい塩梅の前菜となってくれていたのだった。





徳冨蘆花旧邸
これまで高級住宅街としての成城学園を見てきたが、その移転までは雑木林や田畑が広がるような何もない地域だった。(当然ながら成城学園という名前でもなかった。)
明治時代、東京の中心は東にあった。現在の東京駅や浅草、上野を中心に栄えており、そこから見て西に位置するエリアは紛れもなく”田舎”だったのである。そのため、”都心”に住む彼らは、自然を求めて、武蔵野と呼ばれる西東京の一帯をこよなく愛した。
その中に、ついに移住まで決行した徳冨蘆花がいる。彼は明治40年に東京府北多摩郡千歳村粕谷に移住し、自ら農作業を行いながら、文壇からは距離を置いた生活を送った。
現在の蘆花恒春園は、蘆花が晩年を過ごした場所なのである。
昭和11年の蘆花没後10周年忌に際して、愛子夫人から家屋、耕地など旧邸地すべてが当時の東京市に寄贈されて整備された約8ヘクタールの公園。その昔は農村だったかもしれないが、今は世田谷区の芦花公園と八幡山のあいだという好立地。「晴耕雨読の晩年」なんて称されているけれど、青山から越してきたベストセラー作家が農家を買い取って改装し、気に入った家を移築し、3棟を渡り廊下でつないだ屋敷にしてサロン化していたわけで、地元の人にとっては異人感は強かったのではないかと、勝手に想像する次第。
しかし「芦花公園」はもともと聞いたことのある地名で、徳冨蘆花も文学史では耳にしたことのある名前だったが、よもや「蘆花の公園」だったとは、恥ずかしながら思いもよらなかった。
文学の楽しさを老若男女に伝える「世田谷文学館」
そして、ここまで来たら、「文学散歩」的には「世田谷文学館」に寄らない手はない。「蘆花恒春園」の正門から徒歩10分弱で、ガラス張りのモダンな建物が見えてくる。できれば身近な感じで“セタブン”と呼んじゃってください。

1995年に、東京23区で最初の近代総合文学館として世田谷区南烏山地域に開館。この地に本社を構える化粧品メーカー・ウテナの創設者・久保政吉邸に隣接して建てられた。ちなみにセタブン最初の企画展は「横溝正史と『新青年』の作家展」。横溝正史や江戸川乱歩らが多くの探偵小説を発表したのが、ちょうど成城学園の街の発展とときを同じくして人気を博した雑誌「新青年」。で、彼らが居を構えたのがまさしく成城学園の街であったそうな。

世田谷文学館(横溝正史、江戸川乱歩)
日本の探偵小説を確立した横溝正史と江戸川乱歩。二人はほぼ同い年であり、ほぼ同時期にデビューし、その後、理解者として、ライバルとして、終生友情を貫いた。
横溝は、神戸から上京し、療養や疎開を経て、昭和23年(1948年)から成城学園前に住むようになった。彼は重度の閉所恐怖症であり、乗り物に乗ることを酷く嫌い、成城からあまり出ることがなかったという。
そんな横溝のもとをしばしば乱歩は訪れた。乱歩は横溝の邸宅を「広い田圃を見はらして、屋根つきの黄色い土塀を囲らしたなかなか立派な家」と評しており、「横溝君と私は朝の五時まで話していた」と振り返っている。
おりしも、横溝は喀血に苦しみながら、探偵・金田一耕助のシリーズを書き継いでいた。現実の横溝は苦しみながら、飄々とした探偵を描けていたのは、こうした成城の気風が幸いしていたからかもしれない。
「文学館」なんていうと、ショーケースの中に収められた作家の肉筆原稿やゆかりの品々などを腕組みして“鑑賞”するようなイメージかもしれないが、セタブンはまったく違っている(もちろん貴重なコレクションも数多く収蔵しているけれど)。ここが目指すのは、作家のことをウィキペディア的に知るという方向ではなく、その作家がどのような世界を作り上げてきたのか。その作品にどんな魅力があるのか。そして「文学って楽しい」ということを、世代を問わずすべての人々に実感してもらうこと。
なので、たとえば、下の写真は萩原朔太郎の展示だが、作品や展示の中身をイメージしたポップなタペストリーをデザインしている。各学校に貸し出し可能で、このまま展示できる「移動文学館」としても使えるというナイスアイディア!

また、ライブラリー「ほんとわ」では、授乳室や読み聞かせスペースを完備した子どもと本が楽しめるスペースと、過去の企画展の図録や関連選書を読める充実の書棚も。

そして、ジャンルにとらわれず様々な表現形態を文学として提示していく多様な企画展に固定ファン多数。ちなみにこれまで開催されたのは「坂口安吾展」「映画と世田谷」「谷川俊太郎 絵本の仕事展」「不滅のヒーロー・ウルトラマン展」「美内すずえと『ガラスの仮面』展」「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」「地上最大の手塚治虫展」「筒井康隆展」などなど。
こちらは、音楽や光、人形や舞台装置の円環運動で文学作品を表現したムットーニのからくり。

こんな施設が近くにあれば、本好きにならないはずはないのである。そして今回は、成城学園からゆるゆると文学散歩を行ってきて、バスに乗ったり結構歩いたりしたけれど、そもそもセタブン狙いで来てもよし。その場合は、京王芦花公園駅からは徒歩5分程度。ここだけで十分楽しめるので、“散歩”にはならない可能性が高いですが。
※渡辺祐真氏コラム参考文献
新倉貴仁『山の手「成城」の社会史 都市・ミドルクラス・文化』青弓社、2020年
取材・文:武田篤典(スチーム)
写真:大久保 聡
文学作品解説:渡辺祐真
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平塚らいてう旧邸跡
この街が今のような高級住宅街になったのは、現在の成城学園の前身となる成城第二中学校が大正14年(1925年)に現在の新宿区から、北多摩郡砧村(現在の世田谷区成城)に移転したことに端を発する。成城学園は、大正6年(1917年)に現在の新宿区に創設されたが、関東大震災に罹災。それを機に、自然と親しむ教育などを理念に掲げ、郊外への移転が決行されたのだった。
当時は自然が多く、現在のような洗練された町ではなかったが、教育機関として信頼の厚かった成城学園の移転により、その様相はがらりと変わる。
大正14年(1925年)の移転後、幼稚園や高等学校の移転・創立が続き、後に開通した小田急線の駅が設けられるなどして、徐々に人口が増えていくと同時に、「学園都市」として計画的に整備されるようになり、現在の成城の礎が築かれるようになった。
そうした気風に惹かれ、多くの文化人が移住した。それは、柳田国男、北原白秋、武者小路実篤、そして平塚らいてうといった顔ぶれである。
この平塚らいてう旧邸跡からは、まさにそうした新興の住宅街としての一角を想起してほしい。