武蔵野中央公園から現在の武蔵野市役所にかけての広大な地には、第二次世界大戦下、中島飛行機武蔵製作所という航空機エンジンの巨大工場があり、零戦や隼のエンジンが製造されていました。そのため、1944(昭和19)年11月、アメリカ軍が日本本土空襲をはじめて行ったとき、最初の攻撃目標となり、以後、1945(昭和20)年までに合計9回の空襲を受け、200名以上の犠牲者が出ました。戦後は、西工場部分は「米軍住宅グリーンパーク」をへて、1989(平成元)年に都立武蔵野中央公園となりました。園内には、戦前の歴史を解説する案内板が建っています。